ポークのウェルダンで物語な日々

主に映画、ときどき小説、漫画、ゲームなどの感想や紹介を書いています。

実写『アラジン』感想|実写化って素晴らしい

こんにちは、実写版『アラジン』が楽しすぎて二度も劇場で見てしまった阿呆ことポークでございます。

というわけで今回は『アラジン』の感想です。

劇場で見たくせに公開から4か月近くたった今投降するのかというツッコミはどうか飲み込んでやってください。この文章を書いたのは映画を観た直後だったのです。なので新鮮ほやほやの感想がここにございますので、どうかご容赦くださいませ。

 

 

まずはじめに私には懺悔せねばならぬことがあります。

公開前にジーニーのビジュアルが解禁になったとき、世間様からは「ただの青いウィル・スミスじゃん」などとツッコミの嵐が起こりましたが、かく言うわたくしも完璧に馬鹿にしておりました。

特に『アラジン』は子供の頃から大好きな映画だったので、昨今の実写化ブームに煽られて『アラジン』までかくの如きしょーもない二番煎じに成り果ててしまったと一人嘆くばかりでした。アホでした。

ええそうです。台風も巻き起こせそうなアツい手のひら返しには目をつぶっていただけるならば、私は言いたい。実写はすごいです。というかディズニーの映像技術がやばいです。神ってます。

青いウィル・スミス?問題ありません、慣れます。映画が終わる頃には肌色のウィル・スミスのほうが違和感を感じるようになっているでしょう。とにかくそれで映画を見ないのはほんとうにもったいないのです。

というわけで、「実写化なんて必要ねえ、アニメ原理主義万歳」などとのたまっていたかつての私のような偏見をお持ちの方。そんな方の心の殻を破り、実写化を愛する人々で地球をいっぱいにするべく使命感に燃えている……などというわけではありませんが、実写も捨てたもんじゃないぜ、見てみ?という気持ちを伝えてみたいと思います。

 

さてネタバレに関しましては、物語の核心に触れるような記述は避けておりますので、未視聴の方もどうぞ安心してご覧くださいませ。 

 

映像すごすぎ

時の流れとは恐ろしいものです。

あのアニメ映画『アラジン』を実写で違和感なく表現できてしまうというのは、控えめに言ってヤベエことです。

なんと言ってもランプの魔人ことジーニーの、あのハチャメチャな動きや魔法を表現できてしまうなんて!

アニメを見たことがある方はご存知でしょう。ジーニーは脅威の大宇宙パワーを持った魔人なので、大きくなったり縮んだり、あっちこっちに飛び回ったり、分裂したり、色々なものに化けたり…とにかく目まぐるしく動くし変化します。

アニメーションだからこそ表現できたと言っても過言ではない、というかそれこそアニメーションのすごいところだと思っていたのですが。驚くべきことにディズニーはやっちまったのです。実写で。

なんでも青いときのジーニーは頭のチョロ毛から半透明の下半身まで、100%すべてCGなのだとか。そうです、全身に青い絵の具を塗りたくったウィル・スミスではなかったのです。しかし、実際に映画を見たり予告編を見た方は、ジーニーがフルCGだなんて全くわかりませんでしたよね?「ただの青いウィル・スミスじゃん」も、案外誉め言葉だったのかもしれません。

 

美しいアラビアの国アグラバーの再現も素晴らしいものでした。いったいどれだけの人間が参加しているんだ、映画一つのために都市を一つ作り上げてないか?というほどに街には人や物があふれ、そこに息づいていたのです。

そう、カネです。金と技術が惜しみなく注がれた、汗と涙と莫大な資金の結晶。それが『アラジン』。

ディズニーはすごい。脱帽を通り越してハゲます。

 

ウィル・スミス仕様になったジーニー

私は小さいころからジーニーが大好きです。いつも明るく元気でハチャメチャで、でも優しく友達思いのいいやつです。もしも私もジーニーと友達になれるなら  それはそれで常にあのテンションでいられると疲れそうですが  遠くから見ている分には彼は最高のエンターテイナー、いえ劇中の歌にあるように最高の友達!でしょう。

 

というわけで実写版ジーニーはどんなことになっているんだと大変不安で一日9時間しか眠れませんでしたが、そんな心配は全くご無用でした。

結論から言うと、ジーニーはやっぱりジーニーでした。私が見たのは吹替一択で、山ちゃんじゃないジーニーなんてタコの入ってないタコ焼きと同じだ!というつもりだったのですが、声優が同じということもありすんなりジーニーと受け入れることができました。

さらにすごいのは、ジーニーはジーニーでも、ウィル・スミスナイズされたジーニーだったところです。

というのも、ジーニーの歌はほとんどが若干ラップの入ったヒップホップにアレンジされていて、ウィル・スミスっぽい仕様になっていました。通常、リメイク作品でもとの作品にアレンジを加えると「改悪」「原作の冒涜」などとバッシングの嵐を浴びるのが世の常であると私は思っていたのですが、『アラジン』は見事この常識を打ち壊してくれました。

ウィル・スミスの明るいヒップホップとジーニーのやんちゃな明るさが、最高にマッチしていたのです。

これはアニメと実写、どちらのジーニーも捨てがたいですね。もちろんそれを見事に演じ分けた山ちゃんにも脱帽どころではなくハゲます。山ちゃんあってのジーニーだと思ってます、ファンです。

 

今だから加えられたメッセージ

実写版『アラジン』では、新たにいくつか歌が作られています。その中でも特に印象に残ったのがジャスミンが歌う「スピーチレス~心の声」です。

近ごろのディズニーは女性の権利向上を訴えるメッセージが含まれた作品を作っており、2017年公開の実写映画『美女と野獣』でも、女性への教育の軽視を非難するような場面がありました。

今回の映画でもジャスミンは“自立志向が高い女性であるが、男性によって抑圧されている”ことを印象づけるキャラクターにもアップグレードされています。

アニメ版の時もすでに気が強く「私はゲームの賞品なんかじゃないわ!」なんて豪語するような女性でしたが、今回はさらに上を行く「国王になりたい」という「海賊王に俺はなる」的な某海賊少年もびっくりな願望を持った女性になっているのです。悪役ジャファーも、王子の助けを待つはずのプリンセスが、自分と同じく王座を狙うライバルになるなんて夢にも思わなかったことでしょう。

しかし、アグラバー千年の歴史の中で女性が王になったことはただの一度もなく、父である国王もそれだけは認めてくれません。王になるため子供のころから勉強し努力してきたというのに、彼女の声は誰にも届きませんでした。そう、スピーチレスです。

私は英語はさっぱりなもので、Speechlessという単語をどう解釈したものかはっきりとはわからないのですが、そういった意味もあるのだろうと思います。

そんな彼女の抑え込まれた思いが、叫ぶようにして歌われたのが「スピーチレス~心の声」なのです。

 

ジャスミンがこの歌を歌うのはあくまでも心の中で、周囲は時が止まっているような、少しだけ違和感があるような演出がされています。なんだなんだ、急にジャスミン以外動きが止まったぞ?となるような。しかしこれは、このシーンを印象づけるためのあえての演出であるように感じました。

この心の中での叫びがあったからこそ、ジャスミンは奮い立ち兵士のハキームを説得することができたのです。その姿は強さも女性らしい優しさもある、王たる威厳に満ちておりました。しびれます、あこがれます。

こうしたメッセージをディズニーが大々的に示すというのは、大きな意味があることだと思います。すべての女性に幸あれ。ついでに男性にも。

 

 

そんなこんなで、ずいぶんと長く語ってしまいましたが、今回はこれで以上です。
『アラジン』はやっぱりすごいです。実写を見てアニメを見返したくなり、アニメを見てまた実写が見たくなる……そんなループに陥る危険大な名作でございます。
願わくば、私のもとにも魔法のランプが現れんことを。

 

最後に、こんな駄文の果てまでお読みいただき誠にありがとうございました。マリアナ海溝よりも深く感謝いたします。
それでは、またどこかで。